「喪女」という言葉を、初めて見た日のことを覚えていますか。
“モテない女”――軽いネットスラングのように見えて、
そこには笑えない現実が潜んでいる。
誰かに恋をしたことがない。
誰かに好かれた記憶がない。
そんな自分を、他人がそう呼ぶよりも早く、
自分でそう呼ぶようになってしまった。
30代になり、周りが結婚していく中で、
「喪女」という言葉は冗談ではなく、
“自分の定義”のように感じられるようになる。
――でも、そのラベルの奥には、
誰よりも人を想う力が隠れていることに、
あなたは気づいているだろうか。
婚活を始めると、
まるで世界が「ペアで生きる人」しかいないように見える。
結婚相談所のプロフィール。
マッチングアプリの写真。
「条件」や「印象」が並ぶ世界の中で、
恋愛経験の少なさは、大きなハンデのように思えてしまう。
「何を話せばいいかわからない」
「男性との距離感がわからない」
「恋愛の“普通”が自分にはわからない」
そんな自分を、誰よりも自分が責めてしまう。
でも――
その“経験の少なさ”は、劣等感ではなく、感受性の深さの証でもある。
たくさんの人と軽く出会うよりも、
一人の人を大切に見ようとする。
それは、失っていた“人と向き合う力”を、
いまもあなたが持っているということなのだ。
婚活がつらくなるのは、
「恋をしたい」よりも先に、
「恋ができない自分を変えなきゃ」と思ってしまうから。
“喪女”という言葉には、
「女としての価値がない」と自分で決めてしまう悲しさがある。
でも、その「女として」という言葉に、
どれだけの誤解と痛みが詰まっているだろう。
本当は、誰だって“恋する力”を持っている。
それは、若さや華やかさとは関係ない。
「誰かを大切に思いたい」と心が動くこと。
それだけで、すでに愛は始まっている。
だから、婚活の場でうまくいかなくても、
それは「女としての価値がない」わけじゃない。
ただ、“まだ心の波長が合う人に出会っていない”だけなのだ。
ある女性がこんな話をしてくれた。
「30代で恋愛経験がないのを打ち明けたら、
“なんで今まで誰とも付き合わなかったの?”と驚かれて。
その言葉に、自分が欠陥品みたいに感じたんです。」
彼女はその後、婚活を一度やめた。
でも、しばらく経ってまた再開したとき、
彼女は“打ち明け方”を変えた。
「これまでちゃんと恋をしてこなかった分、
一人の人を大切にしたいと思ってます。」
その誠実な言葉に、相手の男性は少し笑って、
「僕も、ようやく人を真剣に好きになれるようになったところです。」と返した。
恋愛経験は“多いほうがいい”わけじゃない。
誠実に生きてきた年月は、
それだけで“信頼”という静かな魅力になる。
“喪女”という言葉の本当の痛みは、
恋をしていないことではなく、
“恋をしてはいけない自分”だと思い込むことにある。
でも、恋は誰かに選ばれて始まるものではない。
“自分が選んでいい”と許したときに、ようやく動き出す。
たとえば、婚活パーティーで誰かと話すとき。
「私なんかが話していいのかな」ではなく、
「この人と話してみたいな」と思ってほしい。
婚活の場は、“選ばれる競技場”ではなく、
“心を試す場所”でもある。
緊張して言葉が詰まるとき、
相手の話を一生懸命聞いているあなたの姿に、
ちゃんと誠実さは伝わっている。
30代で婚活をすることは、
決して遅くない。
むしろ、早い恋にはなかった“深さ”を持って出会える時期だ。
若さで勝負する恋から、
心でつながる愛へ。
恋のスピードではなく、
信頼の育ち方で選ぶことができる。
それは、時間をかけて成熟してきた大人の愛の形だ。
恋愛経験が少ないあなたは、
“愛に慎重な人”だ。
そしてその慎重さは、
本気で誰かを大切にできる人にしか持てないものだ。
焦らなくていい。
“喪女”という言葉が痛く感じるのは、
あなたが本当は、愛されたいと知っているから。
愛されることを諦めている人は、
この言葉に傷つかない。
傷つくのは、まだ希望を持っている証拠だ。
婚活がうまくいかない日も、
人にうまく話せない夜も、
それでもあなたは、心を閉ざさずにここにいる。
それはもう、誰かを愛する準備ができているということ。
“喪女”の殻は、恋の始まりを守る繭みたいなもの。
その中で、静かに、あなたの愛の形が育っている。