「理想の男性の条件は?」
そう聞かれて、「誠実な人」「優しい人」などの言葉のあとに、少し間を置いて「身長は…170センチ以上がいいかな」と口にしたことがある人は多いと思う。
その一言に、どこか小さな罪悪感を覚えながら。
「そんなこと言ってるから結婚できない」なんて言われたくないし、「見た目で判断してるわけじゃない」とも思っている。
それでも、なぜか“身長”という条件だけは譲れないような気がしてしまう。

けれど、その「気がしてしまう」感覚の奥には、意外なほど深い心理が隠れている。


婚活をしていると、私たちは“条件”という言葉の中に、安心を詰め込もうとする。
「学歴」「職業」「年収」「身長」──どれも合理的なようでいて、実は心の奥の“不安”を包むためのラベルでもある。
なぜなら、「条件を満たしている人となら、間違えない気がする」からだ。
“間違えたくない”という恐れが、条件を強くさせる。

身長という条件は、その中でも特に「守られたい」という願いと結びつきやすい。
自分より背の高い人と並ぶと、不思議と世界の輪郭がやわらかくなる。
少し高い位置から自分を見守ってくれるような、目に見えない安心感。
それは幼いころ、父親や年上の誰かに感じた“庇護の記憶”にも似ている。

でも──もし本当の「安心」が身長という数字で決まるものなら、
世界中の高身長の男性と恋をした人は、誰も不安にならないはずだ。


私たちはよく、「条件はただの目安」「実際は中身が大事」と言う。
けれど、実際の出会いの場では“条件”の方が先に心を動かしてしまう。
それは、人の中身を知る前に、“自分の恐れ”が先に顔を出すから。

たとえば、「自分より背が低い男性」を見たとき、
そこに湧くのは“違和感”ではなく、“不安”だ。
──この人と並んだとき、私は女性としてどう見えるだろう。
──守られるよりも、守る側に見えるんじゃないか。
そんな無意識の声が、静かに自分を揺らす。

つまり、身長にこだわるのは“相手”を選んでいるようでいて、
実は「自分の女性としての価値」を守ろうとしていることも多い。
「愛されたい」「可愛らしくありたい」──その素直な願いの延長線上に、“身長”というフィルターが置かれている。


ある女性が言っていた。
「彼のことはすごく好きだった。でも、並んだときに背の差があまりなくて、どうしても“恋人”として見られなかった」
その言葉には、彼女の理性と感情がせめぎ合っていた。
理性では「そんなこと関係ない」とわかっている。
けれど、心は目の前の“絵”を求めてしまう。

恋というのは、理性だけでは選べない。
でも、理性で否定してしまうと、心が置き去りになる。

だからこそ大切なのは、「なぜ私はこの条件に惹かれるのか」を、
自分に静かに問いかけてみることだ。


たとえば、あなたが「高身長の男性がいい」と思うとき、
そこにあるのは「見た目の好み」ではなく、
「安心できる自分でいたい」という願いかもしれない。
誰かに守られているような感覚を持ちたい。
自分の小さな弱さを、そっと受け止めてもらいたい。

でも、本当に安心をくれる人というのは、
身長ではなく“態度”で守ってくれる人だ。
不安な夜に「大丈夫」と言ってくれる声、
意見がぶつかったときに逃げずに話そうとする姿勢、
その一つひとつが、心の高さをつくっていく。

そして不思議なことに、そういう人と出会うと、
「身長なんて気にならなかった」と後から気づくものだ。


婚活は、条件を削ることではなく、
「条件の奥にある願い」を見つめる旅なのだと思う。

身長にこだわるあなたは、
決して“わがまま”でも“理想が高い”わけでもない。
ただ、自分の心が“安心できる形”を探しているだけ。

けれど、その形を他人の数字に委ねてしまうと、
自分がいつまでも不安の中で立ち尽くしてしまう。

「守られたい」という願いを、誰かに差し出すのではなく、
「私は私をちゃんと守れる」という自信を育てていくとき、
条件の見え方は少しずつ変わっていく。

背の高さに代わる安心が、
“対等に並べる関係”の中に見つかるかもしれない。
彼の手の温もり、まっすぐな視線、言葉の誠実さ──
そういうものが、あなたを包む新しい「安心」になる。


恋愛も結婚も、理屈ではなく、感覚で始まる。
でも、その感覚の根っこを丁寧に見つめると、
自分の中の「愛されたい」の形が少しずつ変わっていく。

“条件”とは、心の輪郭を映す鏡だ。
そこに映る自分の不安や願いを、
優しく見つめてあげること。

身長という条件を通して見えてくるのは、
「理想の男性」ではなく、「本当の私」なのかもしれない。


条件をゆるめることは、妥協ではない。
それは、“自分を信じる力”を取り戻すことだ。

身長を理由に閉じていた扉の向こうに、
あなたの心が自然に安らげる人が、
静かに立っているかもしれない。