婚活をしていると、ときどき聞く話がある。
「せっかくいい感じだったのに、ちょっとしたことで喧嘩になってしまって…」
「もう終わりだと思いました」
その瞬間の焦りや落ち込みは、痛いほど分かる。
“いい出会いほど壊したくない”という気持ちが強いからこそ、
小さな言葉のすれ違いに、自分を責めてしまう。
けれど――実は「喧嘩が起きる」というのは、
関係が“進み始めた”サインでもあるのだ。
最初の頃の会話は、どこか慎重だ。
相手に嫌われないように、優しさを多めに盛り、
本音は少しだけ引っ込める。
「そうなんですね」「すごいですね」
そんな無難な相づちの裏で、
“自分をよく見せたい”という気持ちが少しずつ積み重なる。
でも、関係が少し深まり始めた頃、
人はようやく“自分の本当の輪郭”を出し始める。
そして、その輪郭が相手の輪郭とぶつかった瞬間――
初めて「喧嘩」が生まれる。
喧嘩とは、相手を否定することではなく、
“違いを知ろうとする衝突”だ。
ある女性が言っていた。
「婚活で出会った彼と、初めて旅行の計画を立てたとき、意見が合わなくて大げんかしたんです」
彼は綿密に計画を立てたいタイプ。
彼女は、その場の気分で動きたいタイプ。
最初はどちらも折れなかった。
「こんなに合わないなら、無理かもしれない」と思ったとき、
彼がぽつりとつぶやいた。
「一緒にいたいから、どうすればいいか考えたい」
その瞬間、彼女は気づいた。
“合わないこと”が問題ではなく、
“合わせようとしなくなること”が別れの始まりなのだと。
婚活での喧嘩は、恋人同士の喧嘩よりもずっと敏感だ。
「この人とは合わないかも」と思ったら、
簡単に終わってしまう関係だから。
まだ“情”が育っていないぶん、
衝突=終了、と感じやすい。
けれど、よく考えてみてほしい。
「喧嘩できる相手」って、どれくらいいるだろう?
たいていの人間関係では、我慢か距離を取るかのどちらかだ。
でも、喧嘩とは“関わる意志”がある証拠だ。
怒っても、傷ついても、
まだ相手に“伝えたいこと”があるから言葉が出る。
それは、関係をあきらめていないということだ。
もちろん、すべての喧嘩が健全なものではない。
感情的になって相手を傷つける言葉をぶつけたり、
「私ばかり我慢してる」と心を閉ざしたりする喧嘩は、
どちらにとっても苦しいだけだ。
けれど、“自分の気持ちを丁寧に伝えようとする喧嘩”は、
関係を育てるための試練のようなものだ。
大切なのは、「勝つ」ことではなく、
“どんな気持ちで言葉を出したか”だ。
怒りの奥には、たいてい「分かってほしかった」が潜んでいる。
その根っこを見つけられたら、
喧嘩はただの対立ではなく、
理解への扉に変わる。
喧嘩をしたあとの沈黙の時間は、苦しい。
「もう終わりかもしれない」と不安になる。
でも、そこからどう向き合うかが、本当の意味での“相性”を映す。
相手のLINEが既読にならない時間。
あの静けさの中で、自分が何を考えていたか。
「謝ってほしい」なのか、「もう一度話したい」なのか。
そこに、あなたの本音がある。
人は喧嘩を通して、
“自分がどんな愛し方をする人間なのか”を知る。
そして、相手もまた、
“自分がどんな愛され方を望む人なのか”を知る。
恋愛において大事なのは、
喧嘩の「有無」ではなく、喧嘩の「仕方」だ。
感情をぶつけ合っても、
最後に“どう歩み寄れるか”が関係の質を決める。
謝るタイミングを待つより、
「どうしたらまた笑い合えるか」を考えた方が、
二人の未来は動き出す。
完璧に合う人はいない。
でも、違いを認め合える人はいる。
婚活で喧嘩をしたということは、
その人と“本当の関係”を築こうとした証でもある。
喧嘩の後に残る静けさの中で、
自分の心を一度、見つめてみてほしい。
「私は、何を守りたかったんだろう」
「何を分かってほしかったんだろう」
その答えは、あなた自身の“愛のかたち”を映している。
婚活とは、ただ「相手を探す」旅ではなく、
「自分を知る」旅でもある。
喧嘩もまた、その道のひとつ。
痛みを通して、人は少しずつ、愛する力を覚えていく。
焦らなくていい。
喧嘩をしても、それは“終わり”ではなく、
“素顔の始まり”かもしれない。
誰かと本気で向き合うというのは、
ときに痛みを伴う。
でも、その痛みを通してしか、
“優しさの深さ”は育たない。
喧嘩の後に、もう一度話したいと思えたなら、
あなたの中に、すでに“愛する力”があるということ。