婚活の相談を受けていると、「動物が苦手なんです」と小さな声で打ち明ける人が意外と多い。
けれど、その言葉のあとには、必ず少しの沈黙とため息がつづく。

「こんなことを言ったら、印象が悪いですよね」
「婚活アプリでは、犬や猫が好きって書いてる人ばかりで……」

そう言って、苦笑いを浮かべる。

世の中の婚活プロフィールを見渡すと、確かに「犬好き」「猫と暮らしています」「動物が大好きです」という言葉が並ぶ。
写真には、ペットを抱いて笑う姿。
それらは、優しさの象徴のように扱われている。

けれど、私はいつも思う。
「ペットが好き」ことと「人に優しい」ことは、同じではない、と。


動物を愛する人は、その無垢さや従順さに癒される。
しかし、人間はもっと複雑で、簡単には懐かないし、思い通りにもならない。
だから、動物を可愛がる力と、人と向き合う優しさとは、似ているようでまったく違うものなのだ。

ペットが苦手な人にも、別の種類の優しさがある。
それは「境界を尊重する」というやさしさだ。
相手に踏み込みすぎず、空気を読み、ちょうどよい距離を保つ。
そうした繊細な感性は、日々の人間関係において、とても貴重なものだと思う。

「ペット嫌い」という言葉は、
単なる“冷たさ”ではなく、
「命に対する慎重さ」や「感覚の静けさ」を含んでいることも多い。


ある女性が、婚活で出会った男性に「犬が苦手で」と正直に話したら、
「動物が嫌いな人って、ちょっと冷たい印象ありますよね」と笑われたという。

彼女は愛想笑いでその場をやり過ごしたが、心の中では深く傷ついていた。
――なぜ“動物が好きじゃない”だけで、人としての優しさまで否定されるのか。

私は彼女の話を聞きながら思った。
この社会では、優しさがあまりにも“形”で測られすぎている、と。

「動物を飼っている」「ボランティアをしている」「子どもが好き」
たしかにそれらは素敵なことだ。
しかし、優しさとは、もっと静かで、見えにくいもののはずだ。

たとえば、誰かの話を最後まで遮らずに聞けること。
相手の沈黙を尊重できること。
その人の選択を否定せずに見守れること。

そうした“静かなまなざし”こそ、本当の優しさなのではないか。


婚活をしていると、“好かれやすい性格のテンプレート”のようなものがある。
明るく、ポジティブで、社交的で、できれば動物好き。
でも、そうした型にはまろうとすればするほど、
本当の自分の呼吸が浅くなっていく。

無理をして笑うたびに、
“本来の自分”がどこかへ遠ざかっていく感覚。
それが、婚活の疲れの正体だ。

誰かに選ばれるために“優しいふり”をするのではなく、
“自分の優しさの形”を信じること。
そこからしか、安心して寄りかかれる関係は育たない。


ペットが苦手な人の中には、実はとても誠実な人が多い。
命を預かる責任の重さを理解しているからこそ、軽々しく“飼いたい”と言わない。
感情に流されず、現実を見ている。
そうした冷静さは、結婚後のパートナーシップにも通じている。

反対に、ペットを「かわいい」「癒される」と言いながら、
世話を他人任せにする人もいる。
つまり、「好き」と言うことが必ずしも“責任感”や“思いやり”と結びつくわけではない。

婚活とは、好き嫌いの一致ではなく、
感性の呼吸が合うかどうかの旅だ。

ペット好きの人同士が安心するように、
静けさを好む人同士にも、確かな安らぎがある。


「ペット嫌い」は、欠点ではない。
それは、あなたの中にある“静かな生き方”のサインかもしれない。

周りが犬や猫に癒されるように、
あなたは人の沈黙や空気に癒しを見つける。
それは決して劣っている感性ではなく、
別の方向に磨かれた感受性なのだ。

もし、「犬が苦手なんです」と言う勇気を持てたなら、
それは、自分の感性を守るための誠実な選択だ。
その誠実さに惹かれる人が、必ずいる。


婚活の本質は、条件の最適化ではない。
“自分という人間を肯定できる場所”を見つけることにある。

だから、あなたがアプリのプロフィールに
「動物が少し苦手です」と書いたとしても、
それを読んで“わかるよ”と微笑む人が、どこかにいる。

恋愛は、勇気の順番だ。
最初に自分を偽らなかった人から、本当の出会いが始まる。


優しさには、いろんな形がある。
抱きしめる優しさもあれば、見守る優しさもある。
そして、踏み込みすぎない優しさも。

ペットを可愛がるような優しさを持たなくても、
人を思いやる力を持つことはできる。

あなたの優しさは、声を荒げず、光を放たない。
けれど、それは静かに人を包み込む。

愛されるために“好きなふり”をする必要などない。
そのままの感性で生きることが、いちばん誠実な愛の形である。

婚活とは、他人の理想をなぞる旅ではなく、
自分の輪郭を取り戻す旅なのだ。

だからどうか、
あなたの“苦手”を恥じずに、
その静かな感性を誇りに思ってほしい。

その誠実さを見抜く人こそが、
あなたの人生に、本当の安らぎをもたらす人なのだから。