婚活をしているとき、
誰にも言えない不安を抱えている人は少なくない。
「持病があること、いつ伝えるべきだろう」
「病気があると、相手に引かれるのでは」
「言ったら、もう選ばれないのでは」
その悩みは、見た目では分からないだけに、
誰にも相談できず、ひとりで抱え込みがちだ。
けれど、その沈黙の中には、
“誰かと生きる”ということの本質が隠れているように思う。
婚活で「病気」は、たしかにセンシティブなテーマだ。
タイミングを誤れば、誤解を生むこともある。
たとえば、初回のデートで突然打ち明けられれば、
相手が驚くのも無理はない。
でも、結婚を前提に進んでから伝えたら、
「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」と、
信頼を損ねてしまうこともある。
だからこそ、多くの人が悩む。
「いつ」「どの程度」「どんな言葉で」伝えるべきか。
だが、実はこの問いの裏には、
もっと深い心のテーマが隠れている。
それは――
「私は、自分の弱さを誰かに見せる勇気があるだろうか」ということ。
私たちは、婚活を始めると、
どうしても“良い自分”を見せようとしてしまう。
健康で、明るくて、前向きで。
そんな自分でいなければ愛されないと、
どこかで信じ込んでいる。
でも本当のパートナーシップは、
“強さ”でつながるものではなく、
“弱さ”を見せ合えることで育っていく。
だから、「病気を隠すべき?」という問いは、
「私は、自分をありのままに見せてもいいのか?」という問いでもあるのだ。
ある女性がいた。
30代後半、持病を抱えながらも、前向きに婚活を続けていた。
彼女は何度かいい出会いがあっても、
「言ったら終わるかもしれない」という恐れから、
いつも病気の話を避けていた。
でもある日、彼女は思い切って相手に話した。
「実は、少し持病があって、定期的に通院しています」
沈黙が流れたあと、相手の男性は言った。
「教えてくれてありがとう。
それを隠さなかったあなたの勇気が、すごく信頼できると思った。」
その一言で、彼女の肩の力が抜けたという。
彼は“病気”ではなく、“正直さ”を見ていたのだ。
もちろん、全ての人が同じように受け止めてくれるわけではない。
けれど、誠実に向き合える相手は、
「事実そのもの」よりも、「それをどう伝えるか」を見ている。
病気を隠すことが“悪い”わけではない。
ただ、それが「恐れ」からくるものであれば、
その恐れは、関係のどこかに影を落とす。
人は、“安心して自分を見せられる関係”の中でしか、
本当の意味で幸せにはなれない。
婚活の目的は、ただ「結婚すること」ではなく、
“自分らしく生きられる関係”を見つけること。
だから、病気をどう扱うかという問題は、
自分が“どんな関係を築きたいか”を映す鏡でもある。
伝えるタイミングについて、
目安を挙げるなら「信頼が芽生えたとき」が一つの基準になる。
まだ関係が浅い段階では、
相手が“情報”としてしか受け取れず、誤解されるリスクがある。
けれど、心が通い始めたときなら、
それは“あなたの一部”として受け入れてもらいやすい。
そのためには、まず自分が“堂々と話せる状態”になることが大切だ。
「申し訳ない」と思いながら話すと、
相手もどう受け止めていいか分からなくなる。
でも、「私はこういう体調と付き合いながら、こんなふうに生活しています」と、
落ち着いたトーンで話せれば、
それは“弱点”ではなく、“生き方の一部”として伝わる。
本当に大切なのは、病気そのものではなく、
“それをどう受け止めて生きているか”という姿勢だ。
婚活で出会う相手は、あなたの病歴ではなく、
あなたの生き方を見ている。
そして誠実な人ほど、
「自分のことを信頼して話してくれた」という事実を、
何より大切に感じるものだ。
だから、もし伝えることを怖がっているなら、
「弱さを見せることは、愛を試すことではない」
「相手を信じる勇気を持つことだ」と思ってほしい。
婚活の場で病気を話すのは、たしかに勇気がいる。
でも、正直に話せたとき――
あなたは、もう一段深い“人としての信頼”を築ける。
それは、「選ばれる側」から「選ぶ側」への変化でもある。
相手がどう反応するかで、
あなたが安心して生きられる相手かどうかが見えてくる。
つまり、“伝える”という行為そのものが、
未来の関係を選び取る試金石なのだ。
病気を隠すことが、悪いわけじゃない。
けれど、“隠すしかない関係”に、
本当の幸せは宿りにくい。
あなたのすべてを知っても、
なお寄り添ってくれる人。
その人となら、きっと人生のどんな季節も、
穏やかに越えていける。
だから、どうか焦らずに。
無理に早く話す必要もない。
でも、いつか心が「伝えてもいい」と感じたとき、
その瞬間こそ、
あなたの婚活が“本当の意味で始まる”ときかもしれない。