「婚活してるって、なんか恥ずかしいんです」
そう言う人の声を、私は何度も聞いてきた。
たしかに、婚活という言葉には、
どこか人に言いづらい響きがある。
「出会いが自然にない人がやるもの」
「モテない人が頼る手段」
そんなイメージを、無意識に抱いてしまう人もいるだろう。
だから、婚活を始めても、
家族や友人には黙っていたり、
「紹介で会った」と言い換えたりする人も多い。
けれど、私は思う。
婚活を“恥ずかしい”と感じる人ほど、
人を大切に見つめられる人だと。
なぜなら、
“恥ずかしさ”の裏には、いつも“まっすぐな想い”が隠れているから。
婚活が恥ずかしい――そう感じるのは、
「恋愛や結婚は、自然に訪れるもの」と信じてきたからだ。
「出会いは運命であって、努力でつくるものじゃない」
そんな物語のような価値観が、
長い間、私たちの心のどこかに根づいている。
だから、
“探す”とか“活動する”という言葉を重ねると、
まるで「自分が欠けている」と言っているような気がしてしまう。
でも、それは違う。
婚活とは、
「誰かに選ばれに行くこと」ではなく、
「誰かと生きたいという気持ちを、自分で選ぶこと」。
それは、
“受け身の恋”から、“主体的な愛”への移行だ。
つまり、婚活を始めるというのは、
他人に頼らず、
自分の人生を自分の意志で動かすということ。
それは恥ずかしいことではなく、
勇気ある選択だ。
とはいえ、
婚活をしているときの“恥ずかしさ”は、
なかなか手放せない。
プロフィール写真を撮るとき、
「なんだか自分を売り出してるみたいで…」と感じたり、
初対面の相手と会うたびに、
「品定めされてるのかな」と思ってしまったり。
でもその気持ちは、とても自然なこと。
なぜなら、
婚活というのは、
“心の素肌”で誰かに会う行為だからだ。
普段は人前で見せない“本音”を、
知らない人の前に差し出す。
それが怖くて、恥ずかしくて当たり前。
恥ずかしさとは、
「ちゃんと人を信じたい」と願う気持ちの証なのだ。
婚活をしていると、
自分を見つめる時間が増える。
「私って、どんな人なんだろう」
「どうして結婚したいんだろう」
「私は、どんな幸せを求めているんだろう」
そうやって、自分に問いかける時間。
それこそが、婚活の本当の価値だと私は思う。
恥ずかしさの裏には、
「ちゃんと向き合いたい」という誠実さがある。
軽い気持ちで婚活をする人は、
そもそも恥ずかしさを感じない。
「婚活が恥ずかしい」と感じる人は、
“人生を真剣に考えられる人”。
そしてその真剣さこそ、
結婚において最も信頼される魅力だ。
ある女性が、こう話してくれたことがある。
「最初は、婚活をしていることが本当に恥ずかしかったんです。
でも今は、“私、ちゃんと行動してるんだな”って思えるようになりました。」
彼女は最初、プロフィール作成にも抵抗があった。
“自分をPRするなんて、柄じゃない”と。
でも、続けていくうちに気づいた。
「自分を見せることって、恥ずかしいけど、
誰かと関わるには、避けて通れないんだなって。」
そう話す彼女は、以前よりずっと柔らかい表情をしていた。
“恥ずかしい”という気持ちを受け入れたとき、
彼女の中に“素直さ”が生まれたのだ。
婚活とは、
恥ずかしさを“消す”ことではなく、
“抱えたままでも人と向き合う”こと。
それができたとき、
人は一段深く成長する。
婚活をしているとき、
人は“欠けている自分”にばかり目がいく。
でも、本当は逆だ。
婚活とは、“自分の中の愛の形”を思い出すプロセス。
自分の優しさや、
誰かを想う力を再発見する時間でもある。
だから、恥ずかしさを感じる瞬間こそ、
あなたが“本気で生きている証拠”。
恥ずかしいと思える人は、
まだ理想をあきらめていない人だ。
婚活は、時に孤独だ。
人に言えない焦りや、
比べてしまう苦しさもある。
でも、その孤独や恥ずかしさの奥にあるのは、
“つながりたい”という切実な願い。
それは、誰にでもある、
とても人間的で、あたたかい気持ちだ。
婚活をしている自分を恥ずかしいと思うとき、
その奥にある“誰かを大切にしたい”という気持ちを見つめてほしい。
それが、あなたの中の“誇り”なのだから。
婚活が恥ずかしい――。
でも、
その恥ずかしさを感じられるあなたは、
きっと誰よりも優しい。
恥ずかしさとは、
“まだ心が柔らかい”ということ。
“ちゃんと人を好きになれる”ということ。
だから、顔を上げて。
胸を張って。
婚活をしているあなたは、
弱い人ではなく、
“本気で幸せを探している人”。
その姿は、
少しも恥ずかしくなんかない。
むしろ、
とても美しいと思う。