「あなたの性格を教えてください」
――婚活でこの質問を受けるたび、言葉が詰まる。

「明るいです」と言えば薄っぺらく聞こえる気がして、
「真面目です」と言えば地味に見える気がして、
「穏やかです」と言えば印象に残らない気がする。

だからつい、“相手ウケ”の良さそうな言葉を探してしまう。
でも、言葉を飾れば飾るほど、なぜか心が疲れていく。

それは、自分の中の「生きてきたリアル」と「婚活で見せる私」との間に、
静かなズレが生まれてしまうからだ。

私たちは、「伝わる性格」を作ろうとするあまり、
本来の自分を“演出”しようとしてしまう。
でも、本当に伝わる性格とは――
「私がどんな人か」ではなく、「どんな選択をしてきた人か」なのかもしれない。


たとえば、職場でトラブルが起きたとき。
誰かのせいにせず、淡々と整理して解決しようとした。
友人が落ち込んでいたとき、黙って隣に座ることを選んだ。
何かを決めるとき、少し時間をかけても後悔しないように考えた。

こうした一つひとつの小さな選択の中に、
あなたの「性格」は、もうちゃんと表れている。

それを無理に“PR文”のように整える必要はない。
むしろ、そのままの“選び方”を語ることこそが、
誠実で、印象に残る自己紹介になる。

婚活ではよく「自分をアピールしましょう」と言われるけれど、
実際には、「私はこういう価値観で生きてきた」という静かな語りが、
一番人の心を動かす。

なぜなら、“性格”というものは、
自分で語るよりも、相手に「感じ取ってもらう」ものだから。

「優しい性格です」と言葉にするより、
「忙しいときほど、人の予定を気にしてしまうんです」と話す方が、
その優しさが自然に伝わる。

自己PRとは、「良いところを並べること」ではなく、
「その人らしい行動の背景を見せること」なのだ。


一方で、婚活で性格を伝えることに疲れてしまう人も多い。
それは、「正解」があるように感じてしまうからだ。

「明るくて前向きで、コミュニケーションが上手い人が好まれる」
――そんなイメージが頭のどこかにある。

けれど、あなたが本当に“合う人”というのは、
その明るさの裏にある静けさや、
前向きになれない夜の気持ちを、ちゃんと理解してくれる人のはずだ。

だから、無理に“理想の性格”を演じる必要はない。
むしろ、あなたの「丁寧に考えてしまうところ」や
「少し慎重なところ」が、誰かにとっては深い安心感になる。

婚活の自己PRは、自己紹介ではなく「自己理解」でもある。
自分がどんな場面で嬉しくなるのか、
どんなときに心が疲れるのか――
その感覚を丁寧に見つめていくほど、
あなたの性格は“他人に見せるもの”から“自分の軸”へと変わっていく。

たとえば、
「相手の話を聞くのが好き」と言う人の中にも、
“相手の世界を知るのが好きな人”と、
“自分が話しすぎないようにしてしまう人”がいる。

どちらも「聞き上手」だけれど、根っこは違う。
それを見つけることが、本当の意味での「自己PR」なのだ。


そして、もう一つ大切なこと。
性格は、“変わる”よりも、“深まる”ものだということ。

婚活を通して出会う人々や経験を通じて、
自分の優しさの使い方、距離の取り方、怒りの扱い方――
そうしたものが少しずつ洗練されていく。

その変化の中で、
「私はこんな性格です」と一言で言い切る必要は、
もうないのかもしれない。

むしろ、
「いろんな出来事を通して、こんなふうに感じるようになりました」
という語りの方が、ずっと深く伝わる。

それは、“印象づけるためのPR”ではなく、
“生きてきた証”としての自己表現。

たとえば、プロフィールにこう書いてみる。

「人のペースに合わせすぎて疲れてしまうことがありました。
でも最近は、“お互いに無理せず話せる時間”の心地よさを
大切にしています。」

これを読んだ相手は、
「この人は、関係のバランスを大事にする人だ」と感じる。
それは、“性格の良さ”ではなく、“成熟”の伝わり方だ。

婚活は、“完璧な性格を見せる場”ではなく、
“今の自分を誠実に差し出す場”。

だから、あなたの性格を飾る必要はない。
そのままの歩みの中にこそ、信頼を感じさせる美しさがある。


恋愛や結婚は、「印象」では続かない。
長い時間を共にするときに支えになるのは、
相手の“性格の良さ”ではなく、
“生き方の相性”だ。

だからこそ、
婚活の自己PRは、「どんな性格か」を語るより、
「どんなふうに生きてきたか」を語ること。

その言葉は派手ではないけれど、
本当に必要な人にだけ、静かに届く。

焦らなくていい。
“性格をどう見せるか”よりも、
“どんな自分でいたいか”を大切にしてほしい。

その姿勢が、何よりもあなたの魅力になる。

そして、その誠実な在り方を感じ取る人が、
きっと、あなたにふさわしい人なのだと思う。