「料理ができる女性はモテる」
婚活の世界では、いまだにそんな言葉を耳にする。
プロフィールの「得意料理」に、
肉じゃが、煮込みハンバーグ、オムライス──。
どこかで見た“安心のメニュー”を並べながら、
「これで印象が良くなるなら」と思ってしまう。

でも、本当にそうだろうか。
“料理ができる女性”という言葉の裏には、
「家庭的」「優しそう」「尽くしてくれそう」というイメージが潜んでいる。
それは、“誰かの理想”の中の女性像であって、
“あなた自身”の物語ではない。


婚活で手料理アピールをする人は多い。
SNSやマッチングアプリで、
手作りの食卓をさりげなく投稿したり、
「料理は好きなほうです」と伝えたり。
もちろん、それ自体は悪くない。
実際、料理を通して人となりが伝わることもある。

けれど、婚活での「手料理アピール」が重たく感じられてしまうのは、
そこに“自分を良く見せようとする気配”が滲んでしまうからだ。
料理という行為は、もともと「愛情の表現」なのに、
いつの間にか「評価される手段」にすり替わってしまう。

たとえば、
「得意料理は何ですか?」と聞かれたときに、
「相手の好きなものを作るのが得意です」と答える人がいる。
一見、素敵な返答に思える。
でもその裏には、
「相手に合わせられる自分」をアピールしようとする無意識がある。
本当は、もっと正直でいい。
「カレーのスパイスをブレンドするのが好き」とか、
「料理をしていると落ち着く」とか。
“誰かのため”ではなく、“自分がどう料理と向き合っているか”を話すほうが、
ずっと魅力的に映る。


婚活で「料理ができる人」は珍しくない。
でも、「料理を通して自分を表現できる人」は少ない。
上手・下手よりも大切なのは、
“どんな気持ちで料理をしているか”だ。

それは、恋愛にも似ている。
好きな人に尽くすことより、
一緒にいる時間を心地よくする工夫ができる人が、
本当に“家庭的な人”なのだと思う。

結婚は、毎日を共にすること。
毎日同じメニューを作る日もあれば、
疲れて惣菜で済ませる日もある。
“料理上手”をアピールしても、
それが義務やプレッシャーに変わったら、
関係の温度は一気に冷めてしまう。


ある女性の話を思い出す。
彼女は婚活の初期、
「家庭的に見えるように」と、
初デートの話題で手料理の写真を見せていたという。
男性は褒めてくれた。
でも、そこから関係が続かなかった。

彼女はこう言っていた。
「今思えば、私、“評価されたい料理”を作ってたんです」

その言葉には、婚活に疲れた人の本音が滲んでいた。
本気で人と向き合うとき、
人は誰かに“良く見られよう”とする。
けれど、恋愛は“演技”では長く続かない。
料理も同じだ。
上手に作ることよりも、
“その人と食べる時間を大切にできるか”が、
関係を温める。


婚活で大事なのは、
「何ができるか」より「どう生きてきたか」。
料理という行為は、
その人の“生活の温度”をそのまま映す。

どんな食卓を作りたいか。
どんな時間を大切にしたいか。
その答えを自分の中で持っている人は、
自然と魅力的に見える。

「毎日手料理を作りたい」という人よりも、
「疲れた日は一緒に外で食べよう」と言える人のほうが、
人間らしくて温かい。
“完璧さ”ではなく“柔らかさ”が、
愛される人の共通点なのかもしれない。


婚活の場で「料理が得意です」と言うと、
多くの男性が笑顔で頷く。
でも、そこからもう一歩踏み込んでみてほしい。

「どんなときに料理をしたくなりますか?」
「どんな味が落ち着きますか?」

そんな会話ができる人とは、
“日常を共有できる未来”が見えてくる。
料理は、誰かを惹きつける武器ではなく、
“生活を共にする練習”のようなものだ。
婚活における「手料理アピール」は、
実は“自分の生活感”を見せるチャンスでもある。

だから、
見せるのではなく、“にじませる”くらいがちょうどいい。
「昨日カレー作りすぎちゃって、3日目突入です」
そんな言葉のほうが、
完璧なレシピよりずっと人の心を動かす。


婚活での「手料理アピール」に正解はない。
でも、“正直さ”には必ず温度がある。
その温度が、
人を惹きつけ、信頼を生む。

料理が上手であることよりも、
料理を通して誰かを笑顔にできる人であること。
それが、婚活で本当に伝わる「魅力」だと思う。

手料理とは、
技術ではなく“思いやりの形”。
婚活とは、
評価ではなく“生活を分け合う相手”を見つけること。

だから、
上手に作れなくてもいい。
自分の味を大切にできる人こそ、
きっと誰かの心を温められる。