婚活をしていると、
どこかで耳にする言葉がある。
「そんな条件、身の程知らずだよ。」
たとえば、年収の高い男性を希望したとき。
たとえば、見た目が素敵な人を選びたいと言ったとき。
たとえば、優しさも価値観も譲れないと思ったとき。
そのたびに、誰かの冷たい笑い声が、
心のどこかを刺す。
“理想を持つのは、悪いことなの?”
“私が求めすぎてるの?”
そうやって、自分の望みを引っ込めていく人が、
どれほど多いだろう。
「身の程知らず」という言葉は、
一見、現実的な忠告のように見える。
でも、その本質は“他人の物差し”だ。
婚活という場では、
年齢・容姿・収入・職業――
すべてが「価値」として数値化される。
だから、いつの間にか自分の希望が
“分不相応”だと感じてしまう。
そして、そう感じた瞬間、
“自分が小さくなっていく”のを感じる。
でも、忘れてはいけない。
婚活とは、“市場”ではなく“人生”の選択だ。
あなたが選ぼうとしているのは“条件”ではなく、
“生き方”そのもの。
誰かに「高望み」と言われても、
それは“あなたの幸せの形”を、
他人が測れないだけのこと。
ある女性がこう言っていた。
「私、30代後半で普通の会社員なんですけど、
年収800万円以上の人を希望してるって言ったら、
相談所の人に“身の程知らずかも”って言われたんです。」
彼女は笑っていたけれど、
その笑いの中には、
小さな痛みがあった。
「でもね、私は金額が欲しいわけじゃなくて、
“安心して生きていける人”がいいんです。
それを伝えたら、やっと理解してもらえました。」
そう――“希望”と“打算”は違う。
「自分に合う人を求める」ことは、
“現実を見てない”ことではない。
むしろ、自分の人生をちゃんと考えている証だ。
“身の程知らず”という言葉は、
本当は「あなたは分をわきまえなさい」という意味ではない。
それは、
「あなたはこれ以上、望まなくていい」
という社会の諦めの声だ。
でも、その声に従って生きてきた人たちは、
本当に幸せだっただろうか?
自分の人生を半分だけ信じて、
“これくらいで十分”と妥協した先に、
本当の満足はあるだろうか?
人は、自分の“本音の声”を押し殺した瞬間、
心の奥で静かにしぼんでいく。
婚活で大切なのは、
「現実を知ること」ではなく、
「現実の中で、自分の望みをあきらめないこと」なのだ。
とはいえ、
“理想”にしがみつくだけでは苦しくなる。
なぜなら、理想は「ゴール」ではなく、
“方向”だから。
「年収が高い人がいい」も、
「優しい人がいい」も、
その奥には共通点がある。
それは、
“安心して自分らしくいられる相手がいい”という願い。
だから、理想の条件を「削る」必要はない。
ただ、“その条件の奥にある願い”を理解することが大切だ。
そうすれば、
「思っていた形とは違うけど、
ちゃんと心が満たされる人」に出会える。
それが、
“理想を手放す”のではなく、
“理想の意味が深まる”ということ。
ある男性が、こんなことを話してくれた。
「婚活でぽっちゃりの女性を選んだら、
“もっと上を狙えるでしょ?”って言われたんです。
でも、彼女といると落ち着くんですよ。
“上”とか“下”とか、もうどうでもよくなりました。」
“身の程”という言葉は、
上下の概念を前提にしている。
けれど、愛には“上下”がない。
あるのは、
「心が楽かどうか」だけだ。
誰かにとって“身の程知らず”な希望でも、
あなたにとっては“自然な願い”かもしれない。
他人が決めた“程”の中で生きる必要は、ないのだ。
婚活で大切なのは、
“現実を見る”ことでも、
“夢を捨てる”ことでもない。
それは、
“自分を見失わないこと”だ。
「誰かに笑われても、自分の心を信じる」
それができる人ほど、
不思議と最後には穏やかな縁に巡り会う。
なぜなら、
自分を信じる人は、相手のことも信じられるから。
他人に怯えて生きている人より、
ずっと柔らかい表情で“人を愛せる”からだ。
“身の程知らず”と笑われてもいい。
その笑い声の下で、
あなたは確かに、自分の人生を生きようとしている。
理想を持つのは、傲慢ではない。
それは、「自分の幸せを諦めたくない」という意思だ。
婚活で本当に美しいのは、
“条件を並べること”ではなく、
“本音を守り抜くこと”。
他人がどう見ても構わない。
あなたがあなたを誇れる選択をしたとき、
初めて、人生は“愛する準備”が整うのだ。